【追悼文】
鈴木周一先生を偲んで ー酵素工学研究会と鈴木先生ー
土佐哲也
酵素工学研究会名誉会員
酵素工学研究会名誉会員の鈴木周一先生には、昨年10月25日の「酵素工学研究会第54回講演会」の時には検査入院のためご欠席とのことでしたが、それから幾日かも経たない11月15日の夕方にご逝去されたとの連絡を研究会事務局から受け、遂にご快復がかなわなかったのかと大変残念に思った次第でした。
先生は東京工業大学資源研究所教授・所長に続いて、埼玉工業大学教授・学長として、長年教育・研究に携わられ、多くの優れた人材を世の中に輩出された他、国内外の多くの学会においても多大の業績を残してこられました。なかでも日本化学会と酵素工学研究会ではいずれも副会長職を歴任され、素晴らしい会へとお育てになりました。ここでは特に一際その発展にご尽力された「酵素工学研究会」を中心とした先生のご活躍を紹介しながら、会員の皆様とご一緒に在りし日の先生を偲んでみたいと思います。
酵素工学研究会は1979年4月1日に発足しました。その発足時より先生は故福井三郎先生、故岡田弘輔先生、故鮫島廣年博士、千畑一郎博士、清水祥一先生、辻阪好夫博士など、本研究会の重鎮とご一緒に昨秋まで会の発展にご尽力されました。特に、1983年1月から1986年12月までの4年間は副会長も務められました。私も本研究会発足当時から、幹事、委員、副会長および事務局を担当させて頂きました関係で、先生には30年近い長きにわたり大変親しくして頂きました。研究の話や本研究会の打ち合わせなどで、しばしば、電話や書面で先生のご意向をお伺いしましたが、いつも的確かつ明瞭なご指示を頂戴したことが懐かしく思い出されます。
本研究会の行事の中で、先生が最も力を入れられたのは、日本で国際酵素工学会議 (Enzyme Engineering Conference) を開催することでした。先生は第2回の会議 (アメリカ・ニューハンプシャー) に日本人として初めて参加され、日本の「酵素工学」の実力をぜひこの会議を通して世界に認知させるべきだと強く主張されていました。その結果、1981年に第6回が、1989年には第10回がいずれも三重県賢島で成功裏に開催されました。特に1981年の時には、日本の力を結集させるという意味でも、ぜひ「酵素工学の成書」を会議の前に出版しようということを先生がご提案され、「福井三郎・千畑一郎・鈴木周一編:東京化学同人刊」の「酵素工学」が多くの研究会の先生方、研究者のご協力で日の目を見ました。先生はこの本では勿論先生のライフワークの一つの「バイオセンサー」の他、「エネルギーと環境問題への固定化生体触媒の係わり」を先生の右腕の軽部征夫先生とご一緒に出筆されました。
本研究会にとって更に特記すべきことは「酵素工学奨励賞」です。本賞は鈴木先生のご提案と基金提供により、2004年に設立されました。この賞は「酵素工学の分野の進歩に寄与した、原則として40才以下の若手の本会会員に授与する」と決められ、これまで既に4名の若手会員が授与されています。この面では教育者としても先生の思いがひしひしと感じさせられます。
私事になりますが、数年前から「土佐君、東京ドーム横のドームホテルの夜景は奇麗やで!ぜひ一献傾けようや!」と何回も誘って頂きましたのに、はっきりした日時を決めないままこの日になってしまいましたことは、返す返すも残念です。
このように先生との想い出は尽きませんが、先生、どうか天国で福井先生、岡田先生、鮫島博士らと談笑されながら、ご一緒に日本のみならず、世界の「酵素工学」の更なる発展を見守って下さい。本当に長い間のご指導に感謝し、心からご冥福をお祈り申し上げます。合掌!