【巻頭言】
酵素の散歩道
一島英治
東北大名誉教授、東京農工大名誉教授
卒業研究を田邉脩教授に手ほどきをしていただいた昭和31年 (1956) から、今日まで半世紀のあいだ酵素化学を中心にして、酵素を自分の目で見、自分の手でつくる匠の道をたどりました。私は会社、財団法人、国立大学2学部、私立大学と都合5法人に籍をおきました。酵素のどこに魅せられたのでしょうか。
会社に入り、触媒である酵素をつくる面白さは、吉田文彦博士とともに消化酵素剤モルシン (Molsin) の開発として結実しました。この間、1ドル360円の時代にアメリカとヨーロッパに吉田氏と共にそれぞれ2ヶ月間出張させていただきました。帰国後、私の興味は酵素の基質分子識別にむきました。カビの酸性プロテアーゼは何故に、哺乳類の胃ペプシンにはない十二指腸のエンテロペプチダーゼの特有反応であるトリプシノーゲンを認識し活性化をするのか?この現象そのものは、20 世紀前半の終り頃にアメリカで見出され、1960年代初頭には米、仏、日で再発見されたものです。徹底的に精製した酸性プロテアーゼはトリプシノーゲン活性化反応を持つが、モルシン特有の性質であったアミノ酸遊離作用はありませんでした。「酵素化学は純度との戦いである」ことを学びました。若者は研究の徒弟時代に「志を高く・夢をもつ」ことを、体で覚えこむことが必要です。研究成果はNatureに複数の論文と、Methods in Enzymologyの総説として残りました。
酵素による基質分子識別の化学結合は何であるのか。解決のためには、10年以上の歳月が流れました。遺伝子組換えによる部位特異的変異法を駆使した新谷尚弘君が中心になり、酵素中のアスパラギン酸76残基が基質中のリシン6残基を静電引力により識別するという明快な解答を得ました。新谷君はさらにブタ・ペプシンに十二指腸酵素の機能をとりこませ、スーパー・消化酵素剤の開発に成功しました。
トリプシノーゲンのみならずプラスミノーゲンも酸性で活性化するセドリシン・ファミリーの酵素アオルシンを、韓国からの研究者・李 (LEE, Byung Rho) 博士が見つけました。この酵素の基質認識部位も、酵素分子中のアスパラギン酸残基であることが分かりました。
塩基性アミノ酸の側鎖に特異的なプロテアーゼ研究から、サケならびにタラの白子中に新奇システイン・プロテアーゼのミルトパインを会社からの派遣研究生の川端兆宏氏が見つけました。この酵素は白子中のタンパク質を溶解し、放精をもたらすための重要な酵素ではないかという壮大な仮説を立てています。
ヒストンを中性付近で分解する菌類の19K亜鉛プロテアーゼで、耐熱性の無いペニシロリシンを100℃に耐える耐熱性をもつデユーテロリシンに部位特異的変異により近づけた土井ゆうこさんの成果もあります。
モルシン中のアミノ酸の遊離に特異的な新酵素を、酸性カルボキシペプチダーゼと命名しました。醸造の分野では、略号でACPaseと呼んでいます。この酵素の活性中心はセリン、アスパラギン酸、ヒスチジンでした。この酵素の約三分の一は糖で、その解析から従来全く知られていなかった新奇の糖鎖構造が、千葉靖典君らにより見つかりました。この酵素は、味にかかわる種々の応用に重宝な酵素です。また、コムギA (ふすま) からの類似機能の酵素も商業化しました。梅津博紀氏の成果です。
麹菌胞子の分化の研究中に、新奇の1,2-α-マンノシダーゼを見つけることが出来ました。この酵素の特異性の確認については、当時神戸大学医学部教授の木幡陽先生に大変にお世話になりました。後年、多田羅洋太君によりこの酵素はカルシウムが活性に関与しないユニークな酵素であることがわかりました。先述したカルボキシペプチダーゼの糖鎖構造解析に威力を発揮したのがこの酵素でした。現在、工業用遺伝子組換え酵素として製造・販売されています。
受精卵の卵黄膜と卵黄可溶性画分に基質特異性が異なる新奇のアミノペプチダーゼEy (EC 3.4.11.20) を見つけました。田中智章君の研究で、この酵素は低分子基質に特異的に作用し、起炎症ペプチド・N-フォルミル・メチオニン-ペプチドからN-フォルミル・メチオニンとアミノ酸を逐次遊離します。胚に栄養供給する重要な酵素と考えられます。
そのほか、他に見られない酸で活性化する麹菌プロチロシナーゼの活性化の分子機構の解明、山形洋平君の低温性洗剤酵素の開発などが、私の半世紀にわたり逍遥した散歩道で出会った酵素のものがたりです。