【巻頭言】
酵素工学: 理論設計 vs 進化工学
藤井郁雄
阪府大院・理
この10年間、酵素の理論設計や進化工学など酵素工学に関わる新技術がつぎつぎと開発されている。筆者自身もこの2つの技術の間を行ったり来たりしながら新しい生体触媒の開発に試行錯誤している。講演会やその後の懇親会で、「理論設計と進化工学のどちらが良いでしょうか?」という質問をたびたび受ける。「ケース・バイ・ケースですね。」と何とも曖昧な答えをする。実際、どちらの場合も成功例があり、また膨大な数の失敗例がある。
酵素の理論設計では、これまでに蓄積されたタンパク質の構造や機能に関する知識をもとにして、アミノ酸配列の変異を厳密に予想し、部位特異的変異操作を行う。理論設計は、工業用酵素の最適化に威力を発揮するだけでなく、酵素機能の基本的な理解にも大きく貢献している。しかしながら、いつも上手くいくわけではなく、先の述べたように膨大な数の失敗例がある。失敗の理由は明らかで、われわれの知識不足であり、求める反応を触媒する酵素の構造や機能を分子レベルで理解していないからである。タンパク質理論設計が始まった頃は、同族タンパク質の1次配列の相同性から、変異させるアミノ酸を予想していた。今から考えるとずいぶん乱暴な話である。多くの場合、同族タンパク質中の保存したアミノ酸で、触媒活性に関与しないアミノ酸の変異が試されたが、その結果、立体構造変化を起こし、触媒活性を失った。その後、タンパク質立体構造情報が急激に増加するとともに、パワフルなモデリングプログラムも開発され、立体構造情報をもとに理論設計されるようになっている。未だ、タンパク質の揺らぎや歪み、また触媒反応の遷移状態など解らない問題がたくさん残されているが、これらの理解にともない、正確な理論設計が可能になることを期待している。
一方、進化工学では、タンパク質構造や機能の情報を必要としない。エラープローンPCRにより、アミノ酸変異がランダムに導入され、タンパク質の変異体ライブラリーが造られる。このライブラリーをスクリーニングし、目的の活性をもつ変異体を同定する。改良された変異体に、再度、変異を導入し、スクリーニングを繰り返す。この「変異とスクリーニング」の過程を繰り返すことにより、配列空間が広がり、目的のタンパク質が濃縮される。すでに、進化工学は工業用酵素の改良に広く利用されており、触媒活性の向上また熱耐性や溶媒耐性などの物理的性質の改良に成功している。一方、なかなか難しい問題が、基質特異性の改変や新しい触媒活性の導入である。酵素の進化的解析が教示するように、酵素活性のドラスティックな変化には、タンパク質主鎖構造の大きな変化が必要である。ところが、進化工学で現在使われている変異操作では、一部のアミノ酸残基に変異が起こるだけで、欠損、挿入、また、繰り返しなどの大きな変異導入が難い。したがって、自然界の進化のやり方を真似して、多様な配列空間を生むための新しい手法が必要である。進化工学を成功させるもう一つの技術は、高感度で高効率なスクリーニング法である。膨大な数の変異体をハイスループットに精査できる分析法の開発が必須である。
理論設計と進化工学は、それぞれ異なった利点と欠点を持っている。しかしながら、それらは相反するものではなく、相補的な技術である。最近では、立体構造情報をもとにして、限定したアミノ酸配列だけに変異を導入した高品質なタンパク質ライブラリーが設計されている。また、理論設計により導入された触媒部位が、進化工学により最適化されている。理論設計あるいは進化工学のどちらの方法を使うにせよ、成功の鍵を握るのは、酵素の構造や機能に関する基礎的な知識の習得である。理論設計の場合、いかに触媒反応の分子メカニズムを理解しているかが重要であるし、進化工学についても、自然界の進化メカニズムの理解が成功に繋がる。「理論設計と進化工学のどちらが良いでしょうか?」という質問に「ケース・バイ・ケースですね」と答えるのは、目的とする酵素に関する研究者の基礎知識に依るからである。最近、学会での酵素速度論に関する研究や触媒機構に関する発表が少なくなったように感じる。タンパク質構造解析においては、受容体やタンパク質- タンパク質相互作用の分子認識が主流になっており、酵素の構造研究が減っている。酵素工学研究会には、酵素の構造や機能に関する基礎をしっかりと議論できる場であってほしいと強く願っている。基礎的な知識がオリジナリティーのある画期的な技術を生むことは言うまでもない。
酵素工学ニュースの巻頭言を執筆することになり、もう一度、本研究会のホームページを見てみた。本会は昭和54年 (1979年) に設立され、30年の歴史がある。この間に、有用酵素の工業的生産とその分離・精製、酵素や微生物菌体などの生体触媒の使用目的に適合した固定化などの加工と適当な反応器の設計などを基礎・応用の両面から研究することを目的として発展してきている。昨今、エネルギー、環境破壊、食料問題などなど途方もない課題ばかりであるが、酵素工学の高度化で、いずれも一定の解決が見込める課題ともいえる。酵素工学への期待はますます大きくなっている。新しい理論や科学技術を取り入れながら、さらに飛躍していくことを切望する。