【巻頭言】
プライオリティーとオリジナリティー
木野邦器
早稲田大学理工学術院
ジェームス・ワトソンとフランシス・クリックによるDNAの二重らせん構造の発見が20世紀最大の研究成果であることは、その波及効果をみても明らかである。
一方、この世紀の大発見に一人の女性科学者が大きな貢献を果たしていることも表には出ない事実として認識されている。二重らせん構造の決定的な証拠となる鮮明なDNAのX線回折写真を撮影したロザリンド・フランクリンで、このX線回折写真は彼女の知らないうちに上司のウィルキンスからワトソンとクリックに渡され、その結果、歴史的な発見につながったのである。その事実も知らぬまま、また公表もされずに彼女は1958年に37歳の若さで亡くなっている。問題は、ワトソンが自著『二重らせん』の中で、DNAのX線回折写真の入手方法を明らかにせず、かつ彼女の貢献度も認めなかったこと、さらには、彼女の研究能力や人間性までを否定するような発言をしている事実である。ノーベル賞の権威を損なうことを意識してか、この事実はあまり公表されていないが、研究者の重要な資質を問うこととして受けとめられている。
私は工業的に有用な微生物や酵素の探索を行なっているが、それには通常多大な労力と時間を必要とするため、目的酵素をいかに効率良く取得するかが課題となっている。知恵と工夫によって少しでも効率化を目指しはするが、基本的には坂口謹一郎博士の「微生物に期待して裏切られることはない」を支えとして、自然界からのスクリーニングに、熱意を持って粘り強く臨んでいるのが現状である。したがって、目的の活性を見出した時の喜びと達成感には、それを経験した者でないと味わうことができない特別なものがある。
ところが、二年前のある国際学会で、苦労して自然界から見つけ出した私たちしか持っていないはずの微生物の“ある酵素”に関する研究成果が発表されていることを知った。それは私たちの特許に記載されている当該酵素の遺伝子情報をもとに全合成したものであることがわかった。文献の引用があるので私たちが初めて見出した酵素であることを認識した上での研究であるが、私たちに了解を得たわけでも、クレジットをつけたわけでもない。確かに工業的に有用な酵素であれば、それに関わる研究を深化させることは学術的にも工業的にも重要であるが、私たちにとってはオリジナリティーのあるこの酵素に関する研究をさらに展開していた時でもあり、驚きと同時に憤りを感じた。知的財産を取得したとはいえ、研究段階での使用制限はできないため、自分の見出した遺伝資源を安心して研究に使える保証を得たわけではないということをあらためて痛感した。同じようなことを某企業の研究者からも聞いている。“ (特許情報から) 盗まれた遺伝子”の改変体を利用して、その企業も狙っていた“ある化合物”の製造プロセスが開発されたそうである。特許の“ノウハウの開示”における負の効果が露呈したものと言える。
ように、ゲノム解析や遺伝子合成などのバイオ関連技術の進展は、研究手法を大きく変化させている。研究開発の効果を最大限に高めて革新的なイノベーションの創出を図るために、オープンイノベーションが期待されている。それを実効性のあるものとして健全に推し進めていくためにも、研究者のモラルは勿論のこと、プライオリティーの守られた質の高い研究を可能とする体制の整備が必要だと感じている。