【追悼文】
千畑一郎先生との想い出
田中渥夫
京都大学 名誉教授、酵素工学研究会 元会長・名誉会員
2015年10月、千畑一郎先生ご逝去との報に接しました。酵素工学研究会の設立に係わられた先生が、またお一人他界され、時の移ろいと は云え淋しいかぎりです。
私が先生に最初にお会いしたのは、1973年の夏でした。米国ニューハンプシャー州で開かれた第2回国際酵素工学会議 (EEC Ⅱ) に出席された後、数名の方々とMITのDemain研究室を訪問されましたが、同研究室に留学していた私も話に加わらせていただきました。当時は、固定化酵素という言葉は知っていましたが、詳しい内容までは理解できず、ただただ元気の良い先生方だと感じた次第でした。
その後京都大学に帰り、固定化酵素に関する研究を開始するとともに、科学研究費のプロジェクトのお手伝いをさせていただきましたが、このなかで感じたのは、酵素工学の研究分野は日本がリーダーシップを取るべきだとの、千畑先生の強いお考えでした。そのためには、まずはEECを日本に誘致することが必要となりますが、これを引き受けるべき日本の組織はありませんでした。そこで酵素工学に関する団体を設立しようとのことになりましたが、財政的基盤がありません。こうしたなか、千畑先生は、事務局は自分達が引き受けるから、ともかく組織を立ち上げようとご提案され、本酵素工学研究会が設立されるに至りました。その結果、1981年にはEEC Ⅵが、1989年にはEEC Ⅹが、いずれも酵素工学研究会の主催の下、三重県賢島にて成功裡に開催されました。また、1983年には米国ペンシルバニア州でのEEC Ⅶで、千畑先生が第1回の国際酵素工学賞を受賞され、私共日本からの参加者には、大いなる誇りとなりました。
この間、またその後、千畑先生が常に気にしておられたことがありました。その一つは、酵素工学の分野とはどうあるべきか、また、その将来は、ということであり、もう一つは、どのようにすればこの分野に若い人達を引き付けることができるか、ということでした。このようなことについて、国内外の会議の際に夜遅くまで、お酒をこよなく愛された先生と杯を傾けつつ、色々と議論をさせていただいたのも、先生との想い出の一つです。もちろん、何かの結論が出たわけではありませんが、私共若手は、先生の酵素工学に対する情熱をひしひしと感じただけでなく、このような議論を通して、先生から研究の楽しさや厳しさなど、多くのことを学ばせていただきました。
現在、酵素工学研究会が若い方々によって立派に支えられ、また、優れた成果が国内外に発信されているのを、先生は心から喜んでおられることと信じております。
先生のご冥福をお祈りしつつ、合掌。

EEC Xでのひとコマ (賢島・1989年)