【巻頭言】
ゲノム時代の酵素探索
河原林 裕
元産業技術総合研究所
次世代シーケンサーや一分子シーケンサーの登場により、現在ではゲノム塩基配列、特に微生物ゲノムの全塩基配列は、以前に比べ格段に短い時間で安価に少ない労力で解読出来るようになった。その結果、微生物ゲノム全体の95%程度の領域について、95%程度の精度を有する塩基配列で有れば、だれでも容易に安価に手にする事が出来る時代となった。その結果、研究者が対象とする遺伝子情報がゲノム情報中に含まれていれば、即座に利用する事が可能となった。このゲノム塩基配列中の遺伝子情報は、基本的に過去に解析されてデータベース中に登録されている、機能や活性が解明されているタンパク質・遺伝子との相同性から推定されている。一方、超好熱アーキアのゲノム情報から見いだされてきた酵素・タンパク質についての実験的な解析では、予測された以外の基質についても代謝する活性が見出されたり、利用出来る金属イオンの種類が多様である等の既知酵素とは異なる特徴が見出されたりしてきた。ただ、ゲノム情報中に推定されている遺伝子・タンパク質の機能・活性は、実験的な解析を進める上での貴重な材料・資源だと言える。しかし、遺伝子やコードするタンパク質の機能・活性の推定に利用されているのが既知遺伝子・タンパク質配列との相同性であるという性格上、既知の遺伝子・タンパク質が存在しない新規な酵素・タンパク質・遺伝子はゲノム情報としては推定されてこない、つまり直接の研究対象として選択しようが無いという事になる。また、現在の様に2,000個を越える微生物ゲノムの全塩基配列が決定されても、ゲノム情報の中には既知情報との相同性からは機能を推定出来ないタンパク質をコードする機能未知遺伝子が一定の割合で見出されてくる。生物のゲノム中には無駄なタンパク質をコードした遺伝子は存在しないと思われる事から、これらの機能未知として見出されてくるタンパク質・遺伝子でも何らかの必要な機能を有していると推定されるが、遺伝子の配列情報からは機能に辿り着くのは非常に困難である。また、ゲノムの全塩基配列が決定された微生物で存在が推定される代謝経路の中で、必要な反応を司る酵素・タンパク質をコードする遺伝子が見いだされてこない場合も有る。開始当初には万能ではないかと考えられていたゲノム塩基配列解読についても、実は不完全な情報しか構築出来ない事が認識されてきた。
では、これらのゲノム情報だけでは十分でないタンパク質・遺伝子の機能について理解を深めるにはどの様なアプローチが有効なのだろうか。ゲノム情報を手掛かりに、大腸菌等で生産させた組換えタンパク質を用いた機能・活性解析には取り組むことが出来る。その結果、超好熱アーキア由来の酵素・タンパク質では、推定されたもの以外の機能が見出される事が多々有った。当研究室では超好熱アーキアSulfolobus tokodaiiが有するST0452タンパク質の実験的機能解析から、ガラクトサミン1リン酸をアセチル化するという想定外の活性を確認した。この情報を元に新たな代謝経路、リン酸化グルコサミンがリン酸化ガラクトサミンに変換される代謝経路の存在を予測した。そこで、S. tokodaii無細胞抽出液中にその活性が存在するか解析した結果、グルコサミン6リン酸をガラクトサミン6リン酸に変換する活性の存在を明らかにし、この活性を触媒するタンパク質を無細胞抽出液から精製した。得られたタンパク質のN末端のアミノ酸配列から同定されたST2245タンパク質は、これまでにどの生物からも見いだされていないグルコサミン6リン酸をガラクトサミン6リン酸に変換する活性を有する酵素・タンパク質として同定された。この例は、有効に利用したゲノム情報から推定された活性が生化学的アプローチにより獲得できる事を示している。ゲノム情報と伝統的な生化学的手法の融合がゲノムの時代でも新規酵素・タンパク質の獲得には重要だという事を示しているのではないか。
ゲノムの時代と言われ、大量のデータが蓄積されている時代においても、結局のところ新規酵素・タンパク質を探索するには、その活性や機能を指標に、伝統的な生化学の手法であるタンパク質の精製というアプローチが重要だと思われる。ただ、大量に存在しているゲノム情報から代謝経路情報等有効な情報を選別して利用し、的確に選択した対象に対して生化学的アプローチで迫るのが最も効率的なのではないかと思われる。このゲノムの時代にこそ、実験的研究の重要性が再認識されなくてはならないであろう。