【追悼文】
田中渥夫先生を偲んで
横関健三
酵素工学研究会名誉会員/ 日本農芸化学会フェロー
本研究会元会長、京都大学名誉教授田中渥夫先生は、かねてより病気療養中のところ令和2年5月12日ご逝去されました (享年82)。ここに謹んで哀悼の意を表します。
先生は、昭和61年京都大学工学部教授に就任され、工業化学科工業生化学講座を担当されました (平成5年の大学院重点化施策にともない、本講座は大学院工学研究科合成・生物化学専攻生物化学講座応用生物化学分野へと改組された。現在、本講座のDNAは同生物化学講座の分子生物化学分野、生物化学工学分野に引き継がれてい)。平成14年に定年退職されるまで数多くの優れた研究成果を挙げられましたが、特に生体触媒の固定化とその利用に関する研究、炭化水素代謝に関与する酵母のペルオキシゾームの機能解明研究において先駆的な研究業績を挙げられ、バイオテクノロジー分野において大きな貢献をされました。原著論文は400報を越え、これに基づいた業績は国内外で高く評価され多くの賞を受賞されました。平成9年にはデンプンを利用できる酵母の新しい育種技術を発表され、これを契機として目的のタンパク質を酵母の表層に提示する 「細胞表層工学」として技術を体系化されました。新たな武器を付与した酵母という位置付けからArming yeastと呼ばれましたが、田中先生はChを付け加えたCharming yeast という呼び方をよく使われていました。先生らしい茶目っ気を感じるものでした。固定化酵素の概念の提案者でありイスラエルの元大統領でもある 故Katchalsky-Katzir博士 (テルアビブ大学教授、ワイズマン研究所教授) が、田中先生の細胞表層工学技術を「これぞ未来型の固定化技術」と絶賛されたことは、大変嬉しいニュースでした。
私が田中先生にご指導をいただくことになったのは、昭和55年に先生の研究室に研究派遣させていただいたことがきっかけで、これ以来公私ともにご指導いただくことになりました。この当時の田中先生は一直線に研究活動に邁進するまさにバリバリの中堅研究者という佇まいで、“現在報文何報目を投稿中”というメモを机の前に提示して研究室メンバーを鼓舞されていたことが強く印象に残っています。先生は、とても義理人情に厚い親分肌の性格であるとともに、大変な家族思い、愛妻家でもありました。先生は、国際会議や外国との2国間会議に日本側の代表の一人として会議の企画運営、研究成果の発表に精力的に取り組まれていましたが、運営側の欧米の研究者は奥様同伴で参加されることが多く、先生も必要な折には必ず奥様を同伴されて会を盛り上げておられたことが印象に残っています。


田中研で特に印象深かったのは、“スキー合宿”と銘打った勉強会で、研究室メンバーが他研究者の関連する多数の原著論文について、その目的、新規性、研究成果等をまとめたものを発表討論しあうもので、研究の位置づけを浮き彫りにすることの大切さを体得させるものでした。この準備に四苦八苦する学生たちを傍で見てきましたが、この経験をさせることこそが田中先生の本当の狙いであったのだと感じていました。私も何回か参加する機会を得ましたが、研究の狙いのみならず他研究者の研究感を学ぶことに繋がる面白い勉強会と感じていました。日常と異なる環境下で勉強し、そして最終日となる休日にはスキーを楽しむという趣向はとても新鮮で楽しいものでした。先代教授の福井三郎先生と跡を継がれた田中先生のお二人ともスキーが趣味というセミプロ級のスキーヤーでしたので、勉強会がスキー合宿となることは必然であったのだと思っています。
研究とは、「未常識を常識に変えること」と考えるに至っていますが、この想いを持つようになったきっかけは、田中先生からお教えいただいた「三つの常識 (非常識、不常識、未常識) 」の話でした。三つの常識は、田中先生が研究室に配属されてくる研究者の卵たちに対して語ったもので、その骨子は、文献の記載や先輩たちから得た知識からは予想し得ない結果が出た場合、自分の考えや実験結果に十分に自信が持てる場合には知識に対する”非常識“の正当性を大いに主張してほしいというものでした。「未常識」とは、現象としては常識的に観察されるが、それを明快に説明するだけの知見がない一種のブラックボックスであり、「不常識」とは我々の知識では及びもつかない何か漠然とした混沌とした世界と説明されていました。あくまで実験結果を大事にし、今まで学んできた知識全てをそのまま真実として鵜呑みにすることがないようにしてほしいという田中先生の研究感が込められているように感じています。
ここに改めて田中先生のご遺徳とご遺業に対しまして心より尊敬と感謝の意を捧げますとともに、先生にいただいたご指導ご鞭撻に深く感謝し、謹んで先生のご冥福をお祈り申し上げます。