【巻頭言】
酵素工学と酵素の産業利用
小嶋裕三
天野エンザイム株式会社・研究開発統括部
発見した酵素を実際に産業利用するには多くの課題が存在する。許容されるコストで製造する製法の確立以外にも規制のクリアがある。工業用に使用される酵素は、化学物質としての登録 (日本であれば化審法や安衛法) を各国行えば比較的安易に製造販売できる。一方で食品用として利用する場合は化学物質としての登録に加え、各国の食品添加物等の規制への準拠や登録が必要になる。日本であれば新規な酵素は、厚労省の食品安全員会の審査を経て新規な食品添加物として認可される。更に遺伝子組み換え菌による製造の場合は、厚労省による安全性審査・製造基準適合確認が必要となり多くの時間が必要となる。
25年ほど前、私が担当していたリパーゼの引き合いがあり、ある海外メーカーにサンプルを提供した。そのメーカーとアカデミアは共同で文献や特許を出していたのでおおよそその用途は想像できたが、実用化はされなかった。最近再度の引き合いがあり、設備を増設する計画があり、新しい設備は酵素法にしたいので研究を行っていると言っていた。新たな課題として酵素を食品用に使用する登録と酵素を固定化して使用するので固定化担体の規制 (プラスチック規制など) のクリアが必要となった。アカデミアの研究が盛んに行われた後、忘れられた頃にその改良研究や各種規制への対応が目立たないところで行われている。アカデミアから見れば何を今更、大昔に研究は終わっていると思われるかもしれないが、産業界では利益を生み出す研究開発として取り組まれている。このような話はしばしば耳にする。私が若い頃、恩師の清水昌先生からβ-チロシナーゼ (L-DOPAの工業生産) を例に挙げ良い酵素は将来必ず利用されるので良い酵素を見つけなさいと言われたことが思いだされる。
高岡浩三氏 (元ネスレ日本社長) は、著書の「マーケティングのすゝめ」 (中公新書ラクレ) の中でマーケティングは顧客の問題解決のプロセスであり、イノベーションとは、顧客が認識していない問題の解決から生まれる成果、リノベーションは消費者調査で把握できる顧客が認識している問題の解決から生まれる成果と定義している。分かりやすい例を挙げればテレビの発明はイノベーションだが、白黒テレビからカラーテレビ、ブラウン管から液晶、高解像度の4K、8Kにすることはリノベーションである。リノベーションが悪いわけではないが、イノベーションを起こさなければ外国勢には勝てないと主張されている。失われた20年の反省としての警鐘である。高岡氏も述べているようにイノベーションとリノベーションの区別は難しいが、産業界の多くはリノベーションであったかもしれない。
産業界と大学は、立場は違うが同様のことが述べられていると思い山本尚中部大学教授の考えを紹介したい。山本先生は、著書の「日本人は論理的でなくていい」 (産経新聞出版) の中で名古屋大学名誉教授故・上田良二博士の4象限模式図 (基礎研究、応用研究、純正研究、末梢研究) は、大学の研究を明快に分析していると述べている。基礎研究、応用研究の説明は省くが、純正研究とは自分の探求心から未知の世界を探求・研究すること、末梢研究とは既存の学理に基づくすでに確立している学理であるとされる。我が国の科学技術の純正研究は、一時世界を先導し非常に大きな貢献をした。大学の研究をイノベーションとインベンションに分類するとイノベーションは、社会に良い影響を与える技術開発、インベンションは社会とは関係なく面白い学理や現象の発見、その原理の解明などであり純正研究に相当する。イノベーションが、数年後の社会変革をもたらす一方でインベンションは、社会変革をもたらすかは不明だが、時として破壊的なイノベーションの種になることが多い。山本先生は、大学の研究は目標の定まった応用研究や純正研究に移行させるべきだと述べている。
産業界の多くはリノベーション的な研究開発でビジネスを興し収益を上げてきたと思うが、イノベーションを起こす研究開発も常に考えている。一方アカデミアも目標が定まった応用研究や純正研究に移行する中でインベンションを起こす純正研究の重要性が指摘されその成果が期待されている。酵素工学研究は、アカデミアと産業界が最新の基礎研究や応用開発について議論し、また会員同士がコミュニュケーションをとる良い場を提供していると思う。酵素工学研究会が社会変革や破壊的なイノベーションの出発点になることを期待したい。