【追悼文】

横関健三博士を偲んで

鈴木俊一

オリエンタル酵母工業株式会社

 

本研究会で副会長も務められた横関健三博士が、令和5年12月28日に享年75歳で御逝去されました。元気にお過ごしとお聞きしておりましたが、突然の訃報に大変驚かされました。ここに謹んで哀悼の意を表したいと思います。

横関さんは東京農工大学御卒業後、1971年に味の素株式会社に御入社されました。入社後、天然・非天然のアミノ酸、核酸、およびその誘導体の製法開発を中心として、もの作り研究に携わりました。オリジナリティーのある新規酵素の発見とその活用を信条とされ、新しいテーマに取り組む際には効果的な合成ルートを様々に検討し、報告のない新しい酵素の発見により抜本的な合成ルートの構築可能性が考えられる場合には、果敢にその発見にチャレンジするというアプローチを常とされていました。多くの研究テーマに携わり成果をあげられましたが、1985年に日本農芸化学会農芸化学技術賞を受賞された「L-システインの新製造法の開発と工業化」はその代表例の一つでしょう。社内での昇進に伴い、研究プレーヤーとして働ける時間が限られていく中でも、御自身で実験に取り組む時間も大切にされ、50歳台後半から取り組まれたペプチド合成の研究でも自ら実験に取り組まれ、新規酵素の発見を経て成果創出に漕ぎつけ、2005年には「新規酵素を用いる工業的ペプチド新製法の開発」として有馬啓記念バイオインダストリー協会賞を受賞されました。社内では最終的には上席理事まで勤められましたが、40年近い勤務期間の中でも研究に対する情熱は全く衰えることはありませんでした。

筆者は入社3年後の1994年から横関さんの部下となり、研究遂行に必要な多くの知識・スキルを御指導頂くと共に、様々な研究テーマに対して共に取り組んできた。研究に携わる方には皆ご理解頂ける通り、懸命に研究に取り組んでも成果が出ないこともあるし、また成果が出たとしても公に発表されるデータはごく僅かであるため、日頃の御苦労・御努力を知る身として日常的な横顔についてもこの場で披露してみたい。横関さんの研究姿勢として真先に思い起こすのは、とてもマメで丁寧なこと。実験区をデザインする際に、数が多くなるのは誰しも面倒さを多少感じるし、数を減らさないまでも実際の実験の際には集中力が不足気味になったりするものだが、横関さんは実験への集中力が極めて高く、とても丁寧に取り組まれる方でした。この結果、実験データはきれいで僅かな変化も見逃さず、新規な発見に結びつく大きな長所の一つになっていたと感じます。また、データディスカッションも大切にされる方でした。口癖は“仕事はクールに。人間関係はホットに。”でしたが、月次のディスカッション機会である月報会では、“仕事”に“ホット”が持ち込まれることがしばしばで、参加メンバーは毎度突破するのが大変でした。月報会前日に夜遅くまで横関さん以外のメンバーで事前議論して、どうすれば横関さんの鼻を明かせるか毎回作戦会議をしていたのも今は良い思い出です。横関さんとの議論は大概いつも“激アツ”でしたが、議論を乗り越え、良いデータが取得につながった際には笑顔で大いに褒めてもらえ、この瞬間のためにメンバー一同努力を続けていたのかもしれません。今思うと、これが横関さん独自の部下操作術であったのかもと思います。

研究以外の場面では、横関さんをご存じの方々皆様よくお分かりのように、気さくで、且つ非常に気配り上手な方でした。サービス精神が旺盛で細かな気配りを苦とせず、周囲の方に喜んで頂くことを自分の喜びに変えることのできる方でした。年の離れた相手も含め、お話されるのが大好きで、このため酒宴の場も大活躍の場とされていました。ただ、仕事が多忙な時でも深い酒宴の翌日でもほとんど疲れている素振りを見せることがなく、タフな馬力も横関さんの大きな長所の一つであったと思います。誰とでもすぐに打ち解けるお人柄は天性のものでしたが、自然と仲間を増やし、周囲の方々の助けも得ながら大きな仕事を成し遂げていく様子は、大変魅力的なものでした。

この場では紹介しきれない逸話も多いですが、研究者としても人としても魅力的であった横関さん。喪失感は大きいですが、御教授頂いた多くの事は関わりのあったメンバーの中で今後も活き続けていくものと思います。精一杯の感謝を込めて、ここに改めて横関さんのご冥福をお祈り申し上げます。