【追悼文】

小嶋裕三博士を偲んで

浦野信行

天野エンザイム株式会社

 

2021年から3年間、酵素工学研究会の副会長を務められました小嶋裕三博士は、かねてより病気療養中のところ2024年1月5日にご逝去されました (享年57歳)。

小嶋博士は1991年に三重大学大学院生物資源研究科を卒業され、同年天野エンザイム株式会社に入社されました。入社して間もなく京都大学発酵生理及び醸造学研究室 (清水昌先生) に出向し、その際の成果をまとめて2006年に京都大学博士 (農学) を取得されています。入社以来一貫して産業用酵素の研究開発に従事され、特にリパーゼや化成品製造に使用される各種酵素の専門家として、会社に多大な足跡を残されました。

筆者が小嶋博士と初めてお会いしたのは、筆者が京都大学の学生だった2005年頃のことです。当時、小嶋博士は大学への出向は終わっていたものの、忘年会等の機会によく研究室に来られていました。出向時に懇意にされていた先生方だけでなく、私のような学生にもフランクに話しかけていただいたのが非常に印象に残っています。また、出向時に関係を持たれた方々とは年月が経っても交友関係があり、社交的な人でもありました。その後、私が大阪府立大学 (現:大阪公立大学) に勤務し、このまま学術機関で研究を進めるか企業人となるかを悩んでいた際に、企業人としての研究開発の道を示してくださったのが小嶋博士でした。そして、小嶋博士の計らいもあって天野エンザイム株式会社に入社し、共に仕事を行うことになりました。一緒に仕事を行う上で、小嶋博士からは本当に様々なことを教わりました。その中で印象に残っているのが、企業とアカデミアとの関係についての考え方です。企業はその性質上、どうしてもマーケティング的な考え方で研究開発を行うため、どこか現実の延長上で物事を考えてしまう。それでは破壊的なイノベーションを起こせない。真のイノベーションは面白い学理や現象の発見及び解明、すなわち学術機関の研究から生まれてくることが多い。企業はそれを社会実装するための橋渡しの役割も背負っている、ということです。そういった信念の故かと思われますが、フットワーク軽く国内外の先生方を数多く訪問し、交流を深めておられました。

海外の出張には私もよく同行させていただきましたが、短い滞在期間、過密なスケジュールの合間にその土地の文化を (文句を言いながらではありましたが) 楽しんでおられました。幅広い知識と教養をお持ちでしたが、このように貪欲に学び取ろうという姿勢の賜物であったと思います。後進の育成にも積極的で、仕事面だけでなく部下の健康面にも気にかけて世話を焼くなど面倒見も良い人でした。家族思いの一面もあり、嬉しそうに家族の話をされる姿が思い出されます。

ここに改めて小嶋博士より頂いた数々のご恩に感謝の意を捧げますとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

▲中国のシンポジウムで発表する小嶋博士

▲インドの展示会にて筆者 (右2) と共に