【巻頭言】

Simple is the best

松浦友亮

東京科学大 地球生命研究所

 

酵素工学研究会には2003年当時の上司であった卜部格先生 (当時、大阪大学教授) が酵素工学研究会の会長を退任されるタイミングで「おい、松浦、酵素工学研究会に入るように」と指示があり、それ以来お世話になっている。私は、まだまだ学生気分なのに、あれから約20年経って巻頭言を書いている。本当に私で良いのか異議はあろうかと思うが、お世話になった酵素工学研究会の会誌のページを埋めるべく、少し自分の過去を振り返り、未来を考えてみたい。

元来、物理や数学が好きだった学部学生の私は、バイオの世界に物理や数学が深く入り込んでいることに感動した。研究室配属で酵素工学研究室を選んだのも、専門科目の講義で、酵素反応が非常に簡単な数式、ミカエリス・メンテン式で表されることを知ったことが大きな決め手であった。その講義をされていたのが、当時助教授だった卜部格先生である。細胞、微生物、代謝経路の名前を覚えるのに苦労 (嫌気が?) していた時に、シンプルな数式を見て、感動したのを今でも覚えている。

研究室配属後の学生時分には、今思えば、自分には難解すぎる論文を読み、それでも何とか理解しようと、もがいていた。非平衡ダイナミクスの研究で著名なStuart Kaufmanの論文を読んでタンパク質や生命システムの進化を配列空間内の適応度地形上でのダイナミクスと捉えられることを知り、そのシンプルさに感動した。その後、2008年頃に、日本のある研究会で講演する機会を得て、Kaufmanの前 (前座) の講演者となったときは、震えるほど緊張した。チューリッヒ大学でポスドクをしていた頃は、ワイズマン研究所 (イスラエル) のDan Tawfikの酵素の機能進化についての論文を読み、信じられないくらいに感動した。Tawfikらは、酵素進化とはgeneralistがspecialistになることであると、シンプルに説明し、新しい世界観を産み出した。2025年現在、私は、Tawfikの弟子達と共同研究をしており、Tawfik研の世界観を感じながら研究している。

私は、非常にネガティブ思考である。基本的に、日々自分の無能さに苦しんでいる。学術論文がrejectされると、人生が終わるような気分になる。研究費の申請書が不採択になると絶望する。自分の講演が上手くいかないと、ひどく落ち込んでサイエンスに向いてないと思う。学生の研究が上手くいかないと、自分の知識・能力不足が原因だと苦しむ。アカデミアでのポスト探しも随分と苦労し、もうダメだと何度も思った。今もネガティブ思考はそれほど変わらないが、ポジティヴ思考の人が多い研究業界で、私が研究を続けられたのは、偉人達が物事をシンプルに捉える世界観を見て感動したからだと思う。

先日、私が尊敬する研究者の一人である金子邦彦さん (東大名誉教授、現ニールスボア研究所教授) が、ある研究会で、なぜ研究するのかパネラーに聞かれたときに、「自分の研究成果で、自らの世界観が変わることがある。世界が違って見えてくることがあるから。」と話されていた。強く共感し、私の考えが言語化されたと感じた。これまで、偉人達の研究成果で世界観が変わることを述べてきたが、私自身も自らの世界観を変えた成果を少ないながらも発表できた (もちろん周りの多くの学生・研究員・先輩・後輩・先生のおかげではあるが)。それは、一見複雑な分子システムの性質やダイナミクスがシンプルに説明できることを明らかにした研究である。

アカデミアの生存競争に生き残るべく全力で走っていて無我夢中で気が付かなかったが、私は、シンプルな説明が好きで、それによって、自らの世界観が変わることを求めていることに今更ながら気が付いた。これからも”simple is the best”と言え、自らの世界観が変わるような研究成果を追い求めていきたい。最近の大きな不安は、AIや機械学習を用いた研究成果から美しさや感動を感じられるかという点にある。私自身、既に取り組みつつあるが、シンプルさが少なくなり、その結果、感動が薄れている気がする。研究者の世界観を感じにくくなっている気もする。あるいは、単に私の感性が時代から遅れていることを意味しているのかもしれない。